ナカノムラ

ナカノムラの手記

#38 ブログの収益が1円でもあれば素晴らしい理由

ブログのマネタイズについて

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「ブログを始めようと思う」・・・・あなたの友人や知り合いがこう言ったら、なぜそうしようと思ったのか、あなたはその理由をどう考えるだろうか。ほとんどの人は、副収入を目的としたアフィリエイトのためだと考えるだろう。しかし本来はブログでお金など稼げなかった。物好きが何かのテーマに沿って、あるいはなんでも無い日常や日々の想いを綴るだけの、単なるwebのlog(記録)に過ぎなかった。

今やブログは立派な収入源の一つになった。Googleで検索をすれば、星の数ほどの「ブログで稼ぐ方法」が書かれたブログがヒットする。あなたは、有名人や著名人がこぞってブログを書き続けているのがなぜか、ご存知だろうか。実はほとんど本人の意志で書かれていない。有名な人の書く文章はそれだけで価値が発生する。ブログの収益化に欠かせないアクセス数は必然的に伸びる。どれだけ稚拙な文章でも、一般人がブログを書くよりも遥かに収益化の見込みは高い。だから、事務所の指示で動いている。

私はこのブログを始めて現在でおおよそ3ヶ月が経過した。毎日書く時期もあればそうでない時期もある。特に辞めるつもりは無いし、ハッキリ言って収益など無いに等しい。しかし私はブログを書くことを辞めるつもりは無い。

私の性格は物事を深く考え過ぎてしまうことだ。良くも悪くも考えすぎてしまう。それは結果的に整理がつかなくなり、答えの無い禅問答を繰り返してしまいがちになる。その無駄な時間を出来るだけ抑えるには、文字による整理が効果的だと私は知っている。だから辞めるつもりはない。ブログの執筆は、私にとって自浄行為なのだ。

先日、特に気にしていなかったのだが、収益に「1円」と表示されていた。私はこれに感動した。今回は非常に個人的な話しになるが、1円でも収益になることがどれほど素晴らしいことなのかを伝えたいと思う。

 

収益が発生する仕組み

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まず収益が発生する仕組みだが、広告の種類によって様々だ。詳細は先程も申し上げた、星の数ほどある「ブログで稼ぐ方法」を参照いただくとして、概ね広告をクリックするか、その商品やサービスを購入すると収益に繋がる。つまり収益が発生するためには、アクセスだけを稼いでも意味がなく、広告を最低でもクリックしてもらわなければならない。

私が1円の収益でも感動する理由はそこにある。基本的にアクセスは増えれば増えるだけ、広告のクリック死率は上がる。単純に確率の問題だ。たくさんの人に訪れてもらったほうがたくさんの商品が売れることと同じように、ブログの来訪者が多ければ多いほど、広告がクリックされる確率は高くなる。

私は一応人が読むことを前提とした記事の書き方をしてはいるものの、基本的には先述したように自浄の目的が強い。自分の心を落ち着かせるため、癒やすために書き続けている。それに人が共感してくれたからこそ、読まれる。

 

読まれているだけでありがたい

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たとえ1円の収益でも、一人の読者でも、読んでくれている人がいるだけで十分にありがたいのだ。本来は。しかし昨今はブログと言えば副収入のイメージが強いし、実際うまくやれば収入源となってしまう。

私は今のこの状況が好きではない。自分はこう思っている、こう考えているなど、私はもっと人がどう考えているのかを読んでみたい。ただ広告をクリックさせるだけのレイアウトや文章構成など何も面白くない。それならば、web1.0時代を彷彿とさせるモノリスのようなwebページを眺めている方が心にグッと来る。

私がこのブログで目次を作っていないのはそのためだ。基本的には上から順に読んでいってもらいたいし、そうあって欲しい。かと言ってあまり時間をかけて長文を作成はしない。記事内にしおりのようなマークアップを挿入できない以上、一度に読める分量にしておかないと読むのがツラい。

自浄作用とは言いながらも読者のことを考えている状況に矛盾を感じるかも知れないが、これはバランスの結果だ。バランスが取れている状態をブレイクダウンしていくと、どこかで理屈に歪みが生じるのはよくあること。妥協と言ったほうがいいかもしれない。本気になったときにはデジタルリリースで書籍を発刊するかもしれない。

 

読まれているかいないかは関係がない

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以上の理由から、私は読まれているだけでありがいと感じている。ブログなど読まれているかどうかなど関係が無い。読者が居るほうが確かに気分はいいだろうが、それをモチベーションにしてはならない。書きたいことがあれば書く。動機はそれで十分のはずだ。

もしあなたがブログを始めてみたけど途中で諦めてしまった人なのであれば、もう一度考え方を変えて再開してみてはどうだろうか。どちらが正しいとはいえない。読者や収益の増加ばかりを狙ってうまくいく人も居れば、全く跳ねない人もいる。その違いは、単純に自分にとってどちらが向いているか。それだけだ。

マネタイズでうまくいかなったのであれば、書きたいことをただ書くだけを目的にしてみることを勧める。現に私はそれで続いているし、今後も続くだろう。面白い記事というものは、書きたいことを書いている記事だ。多少校正がおかしくても、日本語として伝わっていれば問題は無い。

それよりも問題なのは、書きたくもないことを書いている記事。しかも素人が書く記事は、読み応えが全くと言っていいほど無い。文章のプロが書くどうってことのない文章にはそれなりの技術がある。技術の無い自称ライターの書く文章など、ほぼ面白くないのだ。だからこそ、好きなことを書けばいい。背伸びせずに、好きなことを書いて欲しい。私はそれを読んでみたいと思う。

 

ブログを続ける力―Blogを続けるのに必要かつ大事なこと

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おわり