ナカノムラ

ナカノムラの手記

#40 無能な人間は貧乏になる?

稼ぐために必要なこと

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日本は他の多くの先進国と同じく、資本主義社会だ。資本を多く持つものが正義とされ、持たざる者は持つものと比べられ、一概に「負け犬」とジャッジされてしまう。資本主義社会ではカネこそが力の象徴であり、人間の価値を決める判断基準として、実に安易に利用されている。

人間の本来の価値はカネではない。誰しもそう思いたいところだ。当ブログで語っている内容も、資本主義に対して反抗的な内容が多い。私も、人間の価値はどれだけ稼いだかやカネを持っているかで決まるものでは無いと感じている。貨幣は人間が作り出しだ文明だ。だから、人間が生き物であることを鑑みれば、カネに支配されている状態は本質的ではない。答えは分からないが、感覚的にそう思うのは無理な理屈では無いはずだ。

だが、カネが無い人間は資本主義社会では死ぬしか無い。どこかで野垂れ死ぬしかない。社会保障を受ける場合でも、戸籍など、ある程度の地盤は整っている必要がある。本当にカネがない人間は、我々が意識しても見ることさえ叶わない地下の奥深くに存在している。では彼らはなぜそうなってしまったのか?

残念ながら、無能だったからだ。

 

貧乏になるために必要なこと

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無能は稼げない。そう言い切ってしまうことに不快に感じる方も居るだろうが、実際に能の無い人間に金銭は寄り付かない。どれだけダメ人間に見えてもたくさんの人に金銭的援助を受けている人は、それ相応の人を惹き付ける能力を持っている。つまり有能なのだ。(家系が裕福である場合は除く)

もしあなたが貧乏になりたければ、能力を一切発揮しなければいい。こうしたらダメだろうと思う方向に全ての行動を修正していけばいい。すぐに社会的な信頼は失われ、みるみるうちに名実ともに急降下し、転落していく様子を実感出来るだろう。

だが、普通の人にそんなことは出来ない。なぜだろうか。それは、そんな無茶は出来ないと感じる能力を持っているからだ。実はこのような、一般社会の価値基準に自身の価値基準を照会出来る能力自体も、十分な能力と捉えることが出来る。いわゆる「そんなの普通でしょ」と思える感覚である。

普通の、社会に出て会社に入りとりあえず働くことが出来る人間という存在は、普通の感覚をそれとなく持ち併せている能力者と言える。逆に言えば、その普通が分からない人のことを無能と定義出来る。普通の概念は、長年の人間社会で培われた暗黙の了解だ。どの業界にも多かれ少なかれ存在する暗黙の了解の最上位クラス、社会のグレーゾーンを全く理解出来ていない人間は、信頼を得られず、カネが回ってこなくなる。

 

能力の基準を作り出すもの

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普通の感覚自体を能力とするならば、普通の感覚を持たない人間には何も能力が無いのだろうか。勿論そうとは言えない。普通の感覚に対し圧倒的な欠陥を持っていたとしても、それはあくまでも社会の価値基準に彼ら自身の感覚、知識が沿わなかっただけであって、例えば身体能力が優れているならば、スポーツにおいて頭角をあらわす可能性がある。しかしそれに気づくことが出来るかだ。

小学生のときの私の体験談だが、港の絵を描く授業があった。実際に港に行き、まずはデッサンを行う。その後教室に戻り色を塗るのだが、その際私は、あり得ない着色をしてしまった。普通は海の色をきれいな青色で描くし、風景や波止場の様子も出来るだけクリアな色合いで塗る。

しかし実際に私の目に写っていたのは、汚れた海と、苔やヒビだらけの波止場だった。まだ色の出し方など分かっていない小学生だから、とにかく色を混ぜまくった結果、とんでもないカラーの、酷く陰鬱な港が出来上がってしまった。しかし私は満足だった。再現出来たと感じていたからだ。

だがそれに教師は注意した。そんな色なわけが無い、ふざけているのかと。しかし私はふざけてなどいない。至って真剣だ。これが普通の感覚とそうでない感覚の差である。普通はこうだろうと思える感覚に、世の中は支配されている。能力の基準は全て、普通の感覚がベースにあると言ってもいい。

 

貧乏にならないために

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私は、普通の感覚を持たない人にも稼ぐチャンスが与えられるべきだと思う。しかしそのためには沢山の障壁を超えなくてはならない。個人の努力ではどうにも出来ない障壁が沢山ある。だから是非皆さんには、普通の概念に対してもっと敏感になって欲しい。個人的には、普通の感覚なんて大嫌いだ。個性が失われてしまう要因の一つが、普通になってしまうことである。個性のない人間と会話をしていても、文字通り普通であり、面白くない。

だが、ここぞってときに普通の感覚をしっかり発揮できる人間は非常に強い。独自性を持ちつつも、礼節はわきまえている。これが最も高く評価される人間だ。

お子さんをお持ちの方や、普通の感覚に対し、私のように反感を抱いている方も、そして普通が何なのか分からない方も、再度普通について見直してみて欲しい。そうすれば、少なくとも世の中から、社会から、村八分を食らわずに済むはずだ。

 

新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

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おわり